【ハニーにごめんよ】 池袋でのドタバタが終わり、俺はいつも通り埼玉で過ごしていた。 そんなに離れていた訳でもないのに、なんだか久しぶりな気がする。 やっぱり、二度も喧嘩したからかな。 最初の喧嘩はともかく、二度目はいい相手に会えたと思う。 門田京平。 なんだかんだ、いい奴だったな。 また俺の怪我が回復したら、マジで戦りあいてぇ。 ま、わざわざ仲を悪くしようとは思わねえけど―― 「俺はヤりあいてぇな」 「うわっ!?」 ぼんやりと思い出していたら、突然耳元で低い声がした。 不意打ちに自分がチームのリーダーだという事も忘れて、肩を跳ね上がらせてしまう。 「よぉ、千景」 慌てて振り向くと、片手を挙げた門田に挨拶される。 満面の笑み……ではなく、ニヤリとした笑み。 いたずら…か?あんまりそんなことするような奴には見えないんだけど。 とりあえず、俺もなんとか笑って返す。 「よ…よぉ」 ひきつった笑みだったが、門田は何も言わずに頷いた。 だが……ああ、やべぇ。 さっきのでびっくりしすぎて心臓がばくばくしてやがる。 心なしか体も、熱い気がする。これ、顔が赤くなってたらカッコ悪ぃな。 深呼吸でもして、落ち着かせるか。 「……千景」 「あ?」 すーはーと静かに息を吸ったり吐いたりしていると、門田の手が伸びてきた。 何をするのかと見ていると、門田は俺の手首を掴んで、その広い胸に当てて。 「俺も、ドキドキしてる」 いや、なんでだよ。 「あのさ…お前、今日なんだかおかしいぞ?」 何故か手首を掴まれて門田の胸に手を当てたまま、会話を続ける。 突然埼玉に来てこんなことをするなんて、こいつ熱でもあるんだろうか。 確かにドキドキしている胸も、体調が悪いからだと説明はつく。 それならさっさと帰そう。そう思って口を開く。 「なあ門田、調子悪いんだったら……」 「京平」 「…は?」 「京平」 いくらかの身長差のために見上げることになるその顔は、不機嫌そうだった。 なんで自分の名前を連呼してんだ? もしかして、マジで頭沸いてたらどうしよう。 「大じょ…」 「京平」 なんかマジっぽいんで誰か助けてくださいお願いします。 しかも今度は、わざわざ耳に触れるか触れないかすれすれのところで言ってきたんだ。 ぞくり、背筋を何かが走ったような感覚。 うわ、今絶対鳥肌立った。 早く誰か助けをと願っていると、神、いや女神の声が聞こえてきた。 「ドタチーン、ちゃんと日本語にしなきゃダメだよー」 少し遠くからこちらに近づいてくるのはキャスケットを被った女神。 確か門田とつるんでる……狩沢さん、だっけか。 もともと女性は好きだけど、僕、あなたのことは大好きになれそうです。 「そうか」 輝いた目を狩沢さんに向けていると、何かに納得したらしい門田が改めてこちらに向いた。 うっ。 真剣な瞳が、俺を射貫かんばかりに見つめている。 思わず一歩後ずさるが、掴まれた腕のせいで距離ができない。 そして密着した状態のまま、門田は言った。 「京平と言ってくれ」 「え、」 「きょ・う・へ・い」 どうやらさっきまでの名前連呼は、名前を呼んで欲しかったためらしい。 それ、ちゃんと言えば俺も呼ぶぜ? 「じゃ…じゃあ、京平」 まあ、俺だけ名前で呼ばれて自分が名字っていうのも変だよな。 特に何も考えず口に出して、ちょっと照れて笑う。 だが、後から思えば…この時、よく考えてから言えば良かったのだ。 自分の名前を聞いたかど…京平は、俺を抱き上げた。 「へ?」 「ドタチンの嫁おもちかえりぃ〜」 なにやら黄色い声の狩沢さんと僅かに微笑む京平に意味が分からず目をぱちくりさせる。 いや、嫁って何ですかマイ女神様。 「帰るぞ」 「いや、俺の本拠地ここなんだが…ていうか降ろせ!」 暴れるが、さすが俺に勝った男。難なく抱えられたまま、バンに直行される。 落ちてしまった俺の帽子を拾って狩沢さんがドアを開けると、中にいた男と目が合った。 「…」 「…」 沈黙が流れる。 こいつ…誰だっけ…ええと… 「ニギャー!!」 「うわっ」 思い出していると、突然叫ばれてびくりとする。 どうしたんだ!? 「かっ…門田さんが…ついに男を…!」 叫んだかと思えばそいつはぶるぶる震えて泣き出した。 …大丈夫か? 声をかけていいのかも分からず困っていると、自分の手が京平の服を掴んでいたことに気がついた。 「うわ、すまん!」 慌てて手を離す。 どうやら驚きすぎたらしい。くそ、これでも男かよ。さっきからびびってばっかでカッコ悪ぃ。 反省していると、頭上から意外そうな声がした。 「千景は照れ屋だな」 ……へ? 「俺と一緒にいたいって、隠さなくてもいいんだぞ」 「いや、何言って」 「ニギャー!こんなとこで盛らないでくださいっすー!」 「うふふふふー」 「頼むから俺の車は汚さないでくれ…」 何だこのカオスっぷりは。 もうどうしたらいいのか分からねぇな……。 とりあえず原因であろう京平に目を向けると、素晴らしいくらいの笑みを返された。 あれ、何だか嫌な予感が。 さっきからあまりにも認めたくなくて目を背けてきたけど、こいつ、もしかして… 「よし、千景。結婚しよう」 「いや、無理だから!ていうかお前俺のこと、そ、そんな目で…」 俺はニギャーくんと同じくらいがたがた震えだした。 いい友人になれたとばかり思っていた男からこんなことを言われたら、そりゃこうなるだろ。 残念ながら俺は女性が好きで、男は圏外だ。 「い、いくら男に好きだって言われても俺にはハニー達が…」 「すまん。まだ言ってなかったな。愛してるんだ」 「あいっ…!?」 ダメだ、これは手に負えねえ…! 既に別の世界の住人らしい京平に、俺の話は通じないらしかった。 何だ、ホモは日本語が通じないのか?ホモ語なのか? 「ねえ、早くろっちー拉致って娶っちゃいなよ。勢いが大事だよ?」 「それもそうだな。渡草、出してくれ」 絶句する俺を抱えたまま後部座席に座った京平の言葉で、俺は拉致された。 「っておい、ちょっと待ちやがいやどうして顔を近づけやめろ顎をすくうな待ていやほんとやめっ」 塞がれる口。 入れられる舌。 ギニャーくんのギニャーをバックに水音だけがいやらしく響いて、生理的なのかそうじゃないのか分からないけれど涙が出る。 「あっ…」 意外にもというかなんというか京平はテクニシャンだったらしく、思わず声が漏れた。 なんだよこの声。女の子ならいいのに。死にてえ…。 そして初めての男との口づけで腰が抜けた俺は、悔しいがその男にもたれかかった。 「大丈夫か?」 「んな訳ねぇだろ…」 喋ったことで覗く濡れた赤い舌が、なんだかやらしい。 そういやさっきなんか糸が引いてたんだが、あれ、どっちのツバなんだろうな…もう、暴れる気力もねえよ…。 ぐったりしていると、頭を撫でる手が優しくて、また、涙が出る。 ああ、愛しいハニー達……ごめん。俺、もしかしなくても貞操の危機かもしれない。 だんだん埼玉から遠ざかっていくバンに揺られながら、俺は意識を手放した。 目が覚めたら京平の部屋で、もしかしたなんて悲しい事実は、また別の話だ。 ごめん、ハニーそして全世界の女の子達…。 |