【未成年には与えるな】 今日は仕事もなく、静雄は一人で露西亜寿司にいた。 すっかり池袋という街に溶け込んだバーテン服を、今更珍しがる者はいない。 いや、それ以上に『平和島静雄』という存在の噂が流布しているからかもしれないが。 特に露西亜寿司の客は静雄のことを知った者が多かったので、サイモン以外に話しかけられることもない。 とにかく、今日の静雄はその名の通り、平和で静かな時間を過ごしていた。 はずだったが。 「うおっ、静雄だ!」 「……あ?」 突然の声に顔を上げると、ストローハットと満面の笑み。 「よお!この前ぶりだな!」 「おう」 隣いいか?と聞いて、千景はサイモンに出された茶を啜った。 特に嫌とも感じなかったので、黙って座らせておく。 「オー、シズオ、トモダチタクサンヨー。スシヤ、ハンジョウスル、イイヨー」 ニコニコと笑顔のサイモンは相変わらず片言だ。 その相変わらずを知らないであろう千景は、笑ってサイモンと話し出した。 何も喋ることがない静雄はしばらく二人のやりとりを無言で眺めていたのだが、ふと思い立った。 きょろきょろと辺りを見わたす。 「どうした?」 不審に思ったのか、静雄に気付いた千景が聞いてきた。 ――いねえな。 首をかしげて、静雄は訊いた。 「お前、女はどうしたんだ?」 何故か詳しいトムから聞いたところ、六条千景は喧嘩する時以外なら十中八九女連れらしい。 だが、見たところ今の千景は誰も連れていない。 「え?ハニー達のことか?」 ――ハニーっておいおい……。 さらりと発言した耳を疑うような言葉に、呆れつつも返事をしてやる。 「さすがに遅いから連れてこなかったよ」 女の子を危険な目には合わせられないだろ?と当然のように言い放たれる。 その言動にはついていけそうにもないと思ったが、悪くはないと静雄は思った。 ――まともなのかそうじゃねえのか、分からねえガキだ。 そう考えながら、出された日本酒を飲む。 あまり強くないこの酒は、静雄が来るといつも出されるものだ。 慣れた味に舌を痺れさせ、まだ酔いが回らないながらも気持ちよくなる。 いい気分で、静雄はちびちびと飲む。 そう、いい気分だった。 自分の前に置いてあったはずの瓶を、隣の青年が掴んでいると気付くまでは。 「……ん?」 「あー、ダベってたら喉かわいた」 「ちょっ、お前…!」 ごくり。 慌てて止めようと手を差し出したとき、既に千景は酒を飲んでしまっていた。 饒舌にサイモンと話し続ける千景。 未成年の飲酒を止めることはできなかったが、よく考えれば目の前の未成年は飲酒どころじゃない悪事を働いてきた奴なのだ。今更飲酒でどうこう騒がなくてもいい気がする。 そう思い至った静雄は、特に何も言わないことにした。 「あー、なんか暑いな…ここ」 だが、静雄が止めなかったのをいいことに、千景はどんどん酒を飲み続けたらしく。 「なあ、脱いでいいよな?」 「は?」 すっかりできあがってしまった千景は、シャツのボタンを外し始めた。 「お、おい…」 ――どうしたよ、こいつ。 酔いに任せて脱ぎ始めた千景に言葉が出せず、戸惑う。 まさか、ここまで酔ってしまうとは。 想像もしていなかった事態だが、さすがに店で脱ぐのはまずいだろうと急いで止める。 「ここで脱いだらまずいだろうが」 「え、なんで?」 聞き分けのない酔っぱらいの言うことを聞いてやる義理はない。 とにかくやめろと言うと、ぶつくさ言いながらも千景は手を止めた。 「ったく、んなことになるなら飲むなっつの…」 正直、この状況で怒らないだけでもかなり自分は頑張ったと思う。 煙草をくわえて、静雄は小さく溜息をついた。 だが、酔っぱらいは人の言うことを聞いてはくれない。 「…俺さ、アンタのことすごいと思ってるんだぜ?」 「あ?」 「すげー喧嘩も強ぇし、なんだかんだ顔もいいし、いい奴だし…」 ――何言ってんだ。 突然褒めちぎられて、静雄は困惑した。 酔っぱらっているとはいえ、まだ喧嘩を売られたのならこちらも相手を殴ることができる。 だが、こうも褒められては、どう対応すればいいのか分からない。 「どうすりゃいいんだ…」 誰に言うでもなく呟くと、隣から少し強い力で右腕を掴まれた。 「なあ、聞いてるのか?」 両腕で抱きつくように腕にしがみつく。 女ならば柔らかいふくらみが腕に当たっていただろうが、残念ながら当たるのは硬い胸板で。 これ以上絡まれるのはごめんだと、振り払おうと千景を見た。 青い視界に映るのは、まだ二十歳にもなっていない子供。 いくらか幼さを残した頬を上気させ、満面の笑みで自分を見つめている。 酒のせいで荒くなっている息で呼ぶのは、自分の名前で。 犬の耳と、ぶんぶんという音と共に振られている尻尾が見え、静雄はくらりとした。 「…しーずーおー?おーい?どうしたんだ?なあ」 小首を傾げて上目遣いをする千景。 ――かっ……かわいいじゃねえか…。 ――って、何を考えてやがる俺は…ッ!遊馬崎じゃねえんだ! 頭の中では必死に抵抗するが、目の前の可愛い犬に既に静雄は負けそうだ。 ――このままじゃやべぇ…! 危うくなった理性を取り戻すため、静雄は千景の顔を見ず、下を向いて話すことにした。 「あー、お前なあ…いい加減に…っ!?」 だが、顔の下にあるものといえば。 真っ白な肌で覆われた細い首。そして、ボタンを外すことで完全に見えるようになった鎖骨が、酔いのせいかほんのりとピンクに染まっていて。 ごくり、と静雄は喉を鳴らした。 どくどくと鼓動が高まるのを感じる。酔いではない熱さを感じる。 「……静雄?」 そのとき、静雄の理性はぷつんと簡単に切れてしまった。 「…サイモン、こいつのもツケといてくれ」 真顔で千景の腕を引き、出て行った静雄にサイモンは呟いた。 「シズオ、イッチョ、テイクアウトネー」 平和なはずだった静雄の時間が、その後どうなったか。 翌日、一眠りして目が覚めた静雄はこう呟いた。 「未成年に酒を与えんな、か…」 隣で眠る青年を見ながら、満更でもない顔で。 |