きっと彼にとってはいつものネガティブな発言の一つだったのだろう。
研究の合間に、何でもないように彼は語りかけた。

「私が死んでも、君は生活できるよ」

特に、死後の話をしていた訳でもない。何の脈絡もない言葉だったから、余計に面食らった。明日の朝食は目玉焼きにしようか、なんて話す程度の軽さで微笑みながら彼は言った。反応も始めから期待していなかったらしく、その後は僕にとってだけ気まずい沈黙が続いた。
カチャカチャと、ネジを閉める音が響く。きっと彼の頭の中ではどのように死に逝くかなんてとっくの昔に描かれていて、死神を今か今かと待ちかまえているのだろう。それはなんて、幸せな考え。僕を置いて逝くことが、彼にとっての当たり前。僕のことなんておそらく微塵にも思っていないだろうけど、その事実が、僕の心にはあまりにも痛すぎた。

「……どうして」
「え?こ、ここはこのネジを入れないと電気が通らないよ?」

僕の考えなんて、彼に分かるはずもない。おどおどしながら実験の説明を始めたベルさんに、僕は静止をかける。

「違います」
「な、何か私、間違ってた?」
「どうして僕に、そんな話をするんですか」

たぶん僕の顔が青ざめていたからだろうけど、その一言でベルさんは僕の言いたいことを理解したらしかった。はっとしたような表情になって、すぐに目を伏せる。ああ、黒い睫毛が綺麗だ。

「だ、だって君は私の助手だし……そ、そうだよね、こんなオッサンの死んだ後なんて知らないよね」

にへら、と許しを諦めたように笑う。どうしてベルさんは、こんな風に笑うんだろう。いつだって彼は自分勝手だ。勝手に僕の意見を決めて、勝手に死にたがる。残酷。手癖で虫を引きちぎってしまう子供のように無意識で残酷だ。せめていつものように死にたい、とか殺して、とか直接的すぎるほどの願望だったら良かったのに。

「ワトソンくん……?」

急に彼がぼやけて見えた。自分が泣いていることに気付く。きっと上目遣いで(その顔をはっきり見ることができたならばどんなに幸せだったろうか)僕が熱でもあるのかと思っているのだろう。そうだ、決してあなたは僕があなたを好きだと思わない。考えたことすらないだろう、寧ろ嫌いだと思っているのだから。だから僕があなたの死後、お金の心配をするなんて想像ができるのだ。わかりきっていたけれど、僕がどうあがいたところであなたは僕と一緒にいたいとは思わない(例え一瞬でもその可能性を信じることができたならば)。

「だ、大丈夫?帰ってもいいよ?」
「大丈夫、です……」

嗚咽混じりの返答と共に、ベルさんにしがみつく。確かな感触、小柄な体、乾燥した肌。この現実がすぐにでも消えてしまいそうで、決して抱き返しはしない彼の顔を見ずに。

「死なないでください……っ」

花がなぜ枯れてしまうのか分からない子供のように泣きじゃくる僕を眺めてごめんね、とまたあなたはあの笑みで言った。





枯れないで美しい花よ
どうか蜜を残そうとしないで