お前は僕の下僕なのだから 僕を楽しませなければならないし、僕の命令を絶対と心得なければならない そしてまた、僕だけを見なければならない! 榎木津礼二郎は、機嫌が悪かった。 何故ならば彼の視線の先にいる者(尤もその者は自分が視られていることにすら気がついていないが)の少し上に、自分の知り合いの姿が映っているからであった。 いつもは自分の顔や身体が映っているのに、何で今日に限ってあの仏頂面なんだ。 ……あ!にゃんこだ!可愛いゾ!もっと視させロ! 映像の中に仏頂面の飼い猫が映る。無類の猫好きである榎木津は、少し機嫌が直った。 しかし、猫は直ぐに主によって外に追いやられる。 「なんだ、いいところだったのに!」 再び彼が京極を思っていることに、益々機嫌が悪くなった。 舌を打つと、不機嫌の元である益田が不思議そうに顔を上げた。 「あの、どうかしましたか?」 「どうか、じゃないッ!僕は今機嫌が悪いんだ!」 拳を机に叩き込むと、益田は少し口を尖らせて何なんですかもう、と言った。 そして小さく、溜息を吐く。 ――ん? 榎木津との会話を終了すると、また京極の顔が浮かぶ。益田の顔は、暗い。 ――ああ、そうか。こいつは、 考えると同時に結論が出て、すぐに口から出た。 「マスカマ、またウジウジ悩んでるのか」 声を聞くと、益田は跳ね上がるように反応し、慌てて言った。 「え、な、何で分かったんです。あ!ま、また視たんですかぁ」 お得意の情けない顔。フン、とひとつ鼻で笑ってやった。 愚かな下僕はよしてくださいよぉ、と泣きそうな顔をする。それでも、まだ京極の顔は消えない。 「ちょ、ちょっと思うところあってですね……今日、中禅寺さんに相談に行こうかと」 そんなことだろうと、思った。 自分の下僕であるはずの彼は、自分よりもあの本屋を頼りにしている節がある。 「バカオロカ」 「は、はい?」 何故かその事実に、苛苛して。 そうではないことを祈って(嗚呼、僕は神なのに誰に祈ると言うのだろう!)、ひとつ問う。 「お前は、誰の御陰で生きているんだ?」 「お、おかげ?両親ですけど……」 見当違いな答えに、榎木津の怒りは爆発した。 席を立ち、ツカツカと益田に歩み寄って無理矢理立たせる。きょとんとした益田の顔が憎らしい。 「違う!勿論馬鹿本屋でもない!」 自分が声を発する度に、びくりとするような臆病な益田。 どうしてそんな彼が、 「他でもない!神たるこの僕しかいないだろう!」 僕のことを頼らないんだ! 「あ、あの……」 口を金魚のようにぱくぱくと動かしていた益田は、混乱が収まると同時に顔に熱を持った。 俯いて恥ずかしそうにしている姿が、榎木津の大好きな女学生のようで。 たまらず、腕の中に入れてやる。 「え、えの」 「どうだ、僕にこうされて嬉しいだろう」 「は、はい」 びくびくと上目遣いで榎木津を見上げるその顔を隠す前髪を払ってやる。 「もう、馬鹿本屋など頼る必要はない!」 言いつけると、頬を赤らめて言った。 「御陰様で」 *** 「で、悩みというのは解決したのかね」 「ええ!?分かっちゃったんですか!?」 まさか、中禅寺さんも視えるんじゃあないでしょうね――と訝しむ目の前の軽薄そうな青年を見て、中禅寺は溜息を吐いた。 そんなことは、一目瞭然だ。 鼻歌を歌いながら這入ってきて、にこにこと嬉しそうに笑い、時々思い出したように顔を赤らめる。……これは、明らかに悩める青年の態度ではないだろう。 全く、人に約束まで取り付けておいて。 「分かるよ。どうせ榎木津関連なのだろう?」 その内容はおそらく、自分は見向きもされないとか、ついて行けないとか、そんなことに違いない。 彼は何かある度に、自分の所へ相談に来るのだ。惑わされることを望んで。 しかし、今回は違ったらしい。 彼は気がついていないのだ。 想い人である榎木津礼二郎その人もまた、彼のことを想っていることに。 すれ違って悩むのは良いが、人のことを巻き込まないで欲しい。 「いい加減にしてくれ」 「ご迷惑をお掛けして。どうも失礼しました」 言葉だけは丁寧だが、へらへらと笑っていては軽薄そのものだ。 「僕ぁ、あんまり中禅寺さんに会わない方がいいのかもしれません」 嬉しそうに微笑む。ここに来る直前のことを察した。 迷惑もいいところだ。 「そうしてくれ。僕としても君と榎木津の痴話喧嘩なんて聞かされても困るのでね」 「はぁい」 子供みたいな返事。 「これからオジサンと飲むんです。御陰様で」 勝手に人に嫉妬するのも、それで悩まれるのも困る。 にこにことこちらのことなど考えず、調子よく微笑む青年に、僕はまたひとつ溜息をついた。 |