柔らかい布が擦れて、キュ、と音を立てる。
自分の仕事道具であるグラス。主人のいない今は使うこともないのだけれど。それでも、何故だか磨いてしまう。
長年やってきた仕事というのは、どうにも身について離れないと聞く。だから、なのだろうか。

ようやくバーテンとして手慣れたっていうのに、飲んでくれる人がいないなんてな。

ヨウンはひとつ溜息をついて、自分自身に皮肉を言う。
そりゃ、結構な頻度で酒を寄越せと飲みには来るが……あいつら、酒だったらなんでもいいんだよなあ。安酒だろうが高級酒だろうが酔っぱらって騒げりゃいいってんだ。それに、あれは仕事じゃないし。
グラスの曇りが消え、透き通っていく。淡く色づいた液体が光れば、いい。
ま、仕事もしてないのに家があるってことだけで十分だよな……。
そう自分に言い聞かせ、ぐるりと布を一周させてグラスを持ち上げてみる。

「……ふうむ」
透明なグラスを覗き込んで見えたのは、ドアを少し開けて入るのを躊躇っている男。
ヨウンはグラスと布を置いて声をかけた。
「なに、してんだ?ジャグジー弟」


びくりと肩を振るわせ、口を開閉させながら入ってきたのは、自分たちのリーダーから刺青を取った顔。
しばらく目を泳がせてから、ブレスはごくりと唾を飲み込んで言った。
「その、……白い、な、って」
「は?」
唐突に意味の分からないことを言われ、ヨウンは首を傾げてブレスを見つめる。
ほんのりと顔を赤らめてもじもじと手を動かし、下ばかり俯いている。これは、まるで。
……何を照れてるんだ?意味分からん。
疑問で眉間に皺を寄せるヨウンを見てハッとなったブレスは、慌てたように言葉を足した。
「い、いや、違う、別に差別発言をしたい訳じゃない!」
叫ぶような言葉に、やっと意味が繋がる。

「なんだ、肌のことを言ってたのか」
納得して呆れたような声を出すヨウンに、ブレスはばつが悪そうになってしまう。
「わ、悪いか……」
「いや?珍しいモノを見る視線には慣れてるさ」
肩を竦めて皮肉。
流石に、このアメリカに渡って数年。そんなことでいちいち怒っていてはやってられなくなってしまった。
マネーの龍にはアイリッシュがいなかったのかと思いながら、ヨウンは再びグラスを磨き始めた。
「そう、じゃなくて…」
「ん?」

「きれいで、すきだなって…思った」

先程よりも真っ赤になって、茹で上がってしまったのではないかと思う程の顔をして。
放たれた一言にグラスを落としかけたヨウンは、ゆっくりとブレスを見つめた。
「あ、べ、別に、そんな、ヘンな、」
意味じゃなくて。
妙な感じになってしまった空気を戻そうとあわあわテンパってしまい、言いたいこともロクに言えなくなってしまったブレス。自分は何をやっているんだろうと、涙さえ出そうになる。
これでも、マネーの龍の部隊長だったはずなのに…と。

「そうか?」
無意識に兄のようになってしまったブレスの目に溜まった涙を掬ってやる。
ぎゅっと目を閉じてされるがまま、少し震えている子犬のようなその男に、ヨウンは。
「俺は、お前の方がすきだけどな」

「な…!」
目を見開いて、その視界をヨウンでいっぱいにしたブレスは、言葉を詰まらせて口をぱくぱくさせる。
すき、すき、すき。
言葉が頭をぐるぐると駆けめぐって、混乱する。え、とか、あ、とか、言葉にもなっていない音しか出てこない。目の前のバーテンダーは、いったい、自分に、何を。

「……面白くて」
しばらくその様子を眺めていたヨウンだったが、プッと吹き出して一言付け足した。
長い間きょとんとしてから、やっとそのニヤニヤ笑いに自分がからかわれたと認識したブレス。
「お、お前!からかって…!うわああああ!」
せっかく掬われたばかりの涙をまた溜めて、屈辱でより頬を赤く染めて叫びながら去っていった。


しばらくして、足音が全く聞こえなくなった頃。
椅子に腰掛けたバーテンダーは、ぽつりと呟いた。
「お前が可愛すぎて、名前すら呼べないなんて、な。」







なにがすききみがすき



08.10.19(ツンデレとひねくれ者で素直じゃないふたりが、好きです…!)